2023年02月06日
『白鳥の湖』には妄想の白浪がたつ
Amazon プライムにルドルフ・ヌレエフ版『白鳥の湖』があるのを見つけました(2006年パリ・オペラ座)
ヌレエフがオペラ座の芸術監督だった1986年に振り付けたものの再演
バレエ好きの母親に連れられて幼いころから独身時代までバレエは随分見てきました
なかでも『白鳥の湖』はアカペラで歌えるほど(な~んちゃって)
なんで今さら『白鳥』でもないのですが
ヌレエフ版あまり見た記憶がないし夕飯のBGMにでもと思って視聴しました
オデットがロットバルトによって白鳥に変えられ、二人が空へと昇っていくというプロローグから始まります
こういう演出はほかでも見られますが
ヌレエフ版の特徴は 幕があくとステージ下手に椅子の上で眠っている王子が一人だけでいて
これは王子の夢だとほのめかされていること
映画版では最初に字幕でこんな風に説明されています
「むかしむかしあるところに一人の王子様がいました
王子様はふしぎな夢を見ました それは何かの前触れのような夢でした
夢のなかでは 美しいお姫様が獰猛な鳥に襲われていました」
もうひとつ気になったのが このステージ奥に階段があり
宮廷の一室を思わせるセットが全幕で使われていること
白鳥の登場する湖のシーンは このセットのためか幻想的な感じが損なわれていて
天下のオペラ座が舞台装置の予算を倹約したわけでもあるまいに・・・
と不審に思っていたのですが
一昨夜、寝ているうちに !
そう、白鳥も黒鳥もロットバルトも、すべて王子の頭の中の幻想・妄想だった!?
ヒントになるのが、映画紹介のところに引用されているヌレエフの言葉です
以下、猫流超訳
「自分にとって 白鳥の湖は ジークフリート王子が見た一編の長い白昼夢だ。
ロマンティックなものばかりを読んで育った王子は 永遠なるものへの憧れをつのらせる一方
権力が支配する現実世界や結婚の義務に背を向けてしまう。
理想化された愛は それが許されないものであるからこそ 王子の心の中に芽生えていく。
そして夢が消え去ったとき 王子はどう生きていったらよいのか、途方に暮れてしまうのだ。」
そう考えると合点がいくことがほかにもあります
ロットバルトと王子の家庭教師ウォルフガングを同じダンサーが踊っていること
これも天下のオペラ座に男性舞踊手の数が足りないわけないので
オデットとオディールを同じバレリーナが踊るように 何か意図があるはず
さて この家庭教師 第一幕では王子の目を覚まさせ
彼のもとに娘を連れてきては踊らせるなど
完全に 仕切っています
そして 最後には 王子と二人で 何やら怪しげに踊るのです
オデットとの汚れなき愛の行く手を阻む悪魔が 家庭教師と同じ姿をしているのはなぜでしょう
(たぶん)父親をなくして 夢ばかり見てきたモラトリアム王子にとって
家庭教師はフロイト的なファルスとしての父親だったのでは
そう思うと 第一幕の最後に家庭教師が王子に弓を渡すのも意味深です
これは もともとは王子の友人のベンノ君の役回りなのですが
この弓は白鳥を射るためのものなので
家庭教師は 王子の夢想を殺そうとしているとも受け取れます
(単に 王子に友だちがいない境遇を示唆しているのかもしれないけど)
第三幕でも 黒鳥と王子の有名なグラン・パ・ド・ドゥは
ロットバルトもヴァリアッシオンを踊る パ・ド・トロワになっており
王子の運命を操っているのが このサディスティックな男であることが見て取れます
父親=ロットバルト=家庭教師を殺すことで
王子は大人になれたのかもしれませんが
最終幕では ロットバルトはオデットを連れて天上へ
そう プロローグのシーンが再現され
それを見て王子は倒れ伏します(おそらくお亡くなりに…)
思うに王子は ロットバルトを倒してオデット姫と結ばれるという
従来のハッピーエンディングの『白鳥の湖』を
頭のなかで 作っていたのではないでしょうか
メタフィクション的ですね
ヌレエフがオペラ座の芸術監督だった1986年に振り付けたものの再演
バレエ好きの母親に連れられて幼いころから独身時代までバレエは随分見てきました
なかでも『白鳥の湖』はアカペラで歌えるほど(な~んちゃって)
なんで今さら『白鳥』でもないのですが
ヌレエフ版あまり見た記憶がないし夕飯のBGMにでもと思って視聴しました
オデットがロットバルトによって白鳥に変えられ、二人が空へと昇っていくというプロローグから始まります
こういう演出はほかでも見られますが
ヌレエフ版の特徴は 幕があくとステージ下手に椅子の上で眠っている王子が一人だけでいて
これは王子の夢だとほのめかされていること
映画版では最初に字幕でこんな風に説明されています
「むかしむかしあるところに一人の王子様がいました
王子様はふしぎな夢を見ました それは何かの前触れのような夢でした
夢のなかでは 美しいお姫様が獰猛な鳥に襲われていました」
もうひとつ気になったのが このステージ奥に階段があり
宮廷の一室を思わせるセットが全幕で使われていること
白鳥の登場する湖のシーンは このセットのためか幻想的な感じが損なわれていて
天下のオペラ座が舞台装置の予算を倹約したわけでもあるまいに・・・
と不審に思っていたのですが
一昨夜、寝ているうちに !
そう、白鳥も黒鳥もロットバルトも、すべて王子の頭の中の幻想・妄想だった!?
ヒントになるのが、映画紹介のところに引用されているヌレエフの言葉です
以下、猫流超訳
「自分にとって 白鳥の湖は ジークフリート王子が見た一編の長い白昼夢だ。
ロマンティックなものばかりを読んで育った王子は 永遠なるものへの憧れをつのらせる一方
権力が支配する現実世界や結婚の義務に背を向けてしまう。
理想化された愛は それが許されないものであるからこそ 王子の心の中に芽生えていく。
そして夢が消え去ったとき 王子はどう生きていったらよいのか、途方に暮れてしまうのだ。」
そう考えると合点がいくことがほかにもあります
ロットバルトと王子の家庭教師ウォルフガングを同じダンサーが踊っていること
これも天下のオペラ座に男性舞踊手の数が足りないわけないので
オデットとオディールを同じバレリーナが踊るように 何か意図があるはず
さて この家庭教師 第一幕では王子の目を覚まさせ
彼のもとに娘を連れてきては踊らせるなど
完全に 仕切っています
そして 最後には 王子と二人で 何やら怪しげに踊るのです
オデットとの汚れなき愛の行く手を阻む悪魔が 家庭教師と同じ姿をしているのはなぜでしょう
(たぶん)父親をなくして 夢ばかり見てきたモラトリアム王子にとって
家庭教師はフロイト的なファルスとしての父親だったのでは
そう思うと 第一幕の最後に家庭教師が王子に弓を渡すのも意味深です
これは もともとは王子の友人のベンノ君の役回りなのですが
この弓は白鳥を射るためのものなので
家庭教師は 王子の夢想を殺そうとしているとも受け取れます
(単に 王子に友だちがいない境遇を示唆しているのかもしれないけど)
第三幕でも 黒鳥と王子の有名なグラン・パ・ド・ドゥは
ロットバルトもヴァリアッシオンを踊る パ・ド・トロワになっており
王子の運命を操っているのが このサディスティックな男であることが見て取れます
父親=ロットバルト=家庭教師を殺すことで
王子は大人になれたのかもしれませんが
最終幕では ロットバルトはオデットを連れて天上へ
そう プロローグのシーンが再現され
それを見て王子は倒れ伏します(おそらくお亡くなりに…)
思うに王子は ロットバルトを倒してオデット姫と結ばれるという
従来のハッピーエンディングの『白鳥の湖』を
頭のなかで 作っていたのではないでしょうか
メタフィクション的ですね
Posted by 猫娘。 at 11:47│Comments(2)
│のんちく
この記事へのコメント
うーん、ヌレエフ本人で観たかったか?
Posted by まどか at 2023年02月08日 13:17
ヌレエフだと またイメージ変わりますねぇ
Posted by 猫娘。 at 2023年02月08日 15:55